火曜日, 7月 28, 0021

お久しぶりです!

ほぼ5カ月ぶりの更新ですね。
前の記事が最後になるはずだったのですが、
なんだかもう1回書かないと思って…(^-^)

実はUSBを整理しててそこで鹿児島について書いた
記事を発見したので懐かしさのあまりにアップしちゃいます。

この記事は去年の10月ごろ、鹿児島県庁が発信している
メールマガジンの「外国人の目で見た鹿児島」というコラムに
載せてもらった記事です。
これを書く当時は秋田に来るなんて想像もしてなくて
当然あと1、2年は鹿児島にいると思って書いたので
今読んでみればなんだか不思議で仕方がないです。
やっぱり人生ってわからないものですね。

これを書いて1ヶ月後にもう鹿児島にはいられないと知って
恥ずかしくてこれどうしようと思ったのですが、
まぁ~これはこれで面白いですね。
両想いだと思っていたのが実は勘違いで
相手はまっぴら御免だったみたいな…
(もちろん冗談です^^)

いきなり鹿児島を離れることになってやり残したことも
会いたい人もたくさんいるので生きているうちに
またぜひ鹿児島に行きたいと思います。

それでは、鹿児島に感謝の気持ちを込めて
10ヶ月前に書いたこの記事をささげま~す!ヾ(´▽`)ノ



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 もう1年半前のことになりますが、国際交流員として初めて鹿児島に来た日を今も覚えています。飛行機から見下ろした鹿児島は一言で言うと‘ジャングル’でした。ぎっしり緑で埋まっていて「こんなところに飛行機が着陸できるの?!」と不安というより本気で心配になりました。でもそういう私の心配をよそに飛行機はちゃんと滑走路に着陸しました。そして空港から鹿屋へ、鹿屋から勤務地の串良へ走ってくると空で見たあの‘ジャングル’が目の前に広がりました。ソウル生まれ育ちの私には見た事のない光景でした。そして漠然とした不安が襲ってきました。「今からここで住むの?住めるの?!」
 住民の方にとっては無礼極まりない心配ですね。それが実際1年半ここで暮らしてみて最初のその心配がどれだけ無礼で無駄なことだったのかしみじみ思い知りました。田舎であっても生活には何一つ不便はなく田舎だからこそ感じられる住民の方たちの暖かい心遣い、情がありました。そして穏やかにゆっくりと流れる鹿児島の時計にももうすっかり慣れました。そのおかげで今は東京やソウルに出たらむしろ頭が痛くなる逆カルチャーショックを経験しています。

 スーパーで誰かの視線を感じて振り向くと小学校の子供たちが照れながらも小走りで‘パクパク先生’って呼びかけてきます。家の前が草ぼうぼうになってどうしようと困っていると優しい近所のおじさんがいつもの笑顔で草刈を手伝ってくれます。講座で触れ合う市民の方たちとは自然に友達になり何か大きな国際交流事業や行事を通じなくても普通の日常で自然な国際交流ができています。
鹿児島で一番好きな場所は桜島です。鬱なときに桜島の溶岩道路を走るとすっきり気持ちがよくなります。初めて車を覆っている火山灰をみたときは「これ、もしかしてテロ?」と思ったのですが、今はもうそれにも慣れて当たり前のように天気予報で風向情報までチェックしています。

 今まで経験してきた都会の生活とはまったく違って戸惑いもありましたが、空気もいいし、食べ物はおいしいし、みんな暖かくしてくれたおかげで1年半の一日一日が忘れられない楽しい思い出になりました。都会では気づけなかった自然と人への感謝の気持ちも鹿児島にきてからこそしみじみ感じています。今までの1年半がそうだったようにこれからの時間も鹿児島をいっぱい見て感じて楽しんでいっぱいの思い出を作っていきたいと思います。